平成31水戸の梅まつり(偕楽園)   平成31年3月13日
 
 水戸偕楽園の梅まつりに行くのは平成22年以来9年振りである。

 今年は久し振りに誘われて3月3日の梅まつり期間中に偕楽園公園田鶴鳴梅林広場で行われた「いばらき県産品まつり」という催物を見に行った時、久し振りに梅まつりを見に行こうかという気になった。

 平成31年3月13日晴天の日に、好文亭表門から入場した。
  梅花は丁度満開時期で久し振りの春の偕楽園を満喫できた。

 追加として「いばらき県産品まつり」の写真も巻末に入れた。

   


  好文亭表門

 好文亭表門は、歴史館方面からの道から入る偕楽園正門にあたる門で、切妻造りの腕木門、屋根は茅葺である。
 
この表門から一ノ木戸門をぬけ、竹林と杉
木立の間を通り、好文亭に至る順路が「偕楽園記」に記された陰陽の世界を堪能できる創設時からの順路である。
 この門は天保十三年(1842)の偕楽園創設時に設けられたもので、松煙を塗り黒く仕上げられているので「黒門」とも称され、現在まで残っている貴重な門である。

top↑



  表門から好文亭へ

 好文亭表門を入ると、小さな一ノ木戸という門がある。竹林と杉木立の続く小径を行くと、好文亭中門という小さな門があり、そこを潜ると好文亭入口がある。

 受付で入場料(70才以上100円)を払って入ると前庭に赤いつぼみをつけた寒緋桜(かんひざくら)がある。

 旧暦の元日に咲くので、「がんじつさくら」とも云われているそうである。

 
   

top↑

 好文亭奥御殿の襖絵
 
  奥御殿には「菊の間」「桃の間」「つつじの間」「桜の間」「萩の間」「松の間」「紅葉の間」「竹の間」「梅の間」「清の間」があり、それぞれの間に、部屋名に因んだ襖絵が描かれている。
  戦前は水墨画の襖絵、板絵が描かれていたが、昭和20年の空襲により、好文亭・奥御殿とも焼失した。
  戦後昭和33年に好文亭竣工時以、来昭和43年までに現在のすべての襖絵が完成した。 襖絵復元を行った日本画家は東京芸術大学教授の須田先生と田中先生である。

                                                                                                               top↑

 好文亭庭園と三階の楽寿楼からの景観


 
奥御殿から眺めた好文亭庭園と、偕楽園見晴らし広場方面3景。

 藩主が使用した三階にある楽寿楼から眺めた千波湖、田鶴鳴梅林などの偕楽園公園方面の眺め3景。

 梅林方面から好文亭に入る芝前門。

 

top↑

 水戸の梅大使と見晴広場からの眺め
 好文亭を出ると、満開の梅の木の下で梅大使と黄門様が幼稚園の子供たちと記念撮影をしていた。

 好文亭がよく見える見晴広場でも子供たちが一休みしている。

 天気良く、ポカポカ陽気で眼下の偕楽園公園方面の満開の梅林がふかふかとカスミがたなびく様に眺められる。

top↑

 
 好文亭から梅林に行く
 好文亭から芝前門を出ると売店などが並ぶ広場に出る。
 広場の北側が、100品種3000本あるといわれる東西梅林である。
 水戸の六名木とされている梅の木のうち、「柳川しだれ」「虎の尾」「江南所無」の3名木を写した。
 ほかにも「藤牡丹枝垂」「道知辺(みちしるべ)」「一流」「月宮殿」などを写した。名前が判らない名木もたくさんある。
 
   

top↑


  3月3日のいばらき県産品まつりの一部の写真です

  水戸工業高校ジャズバンド部の演奏があり、小雨の中多くのテント村で県産品が出品されていた。
 場所は「偕楽園本園」の下にある「偕楽園公園田鶴鳴梅林広場」である。

 近くには梅の香りが漂い、下から眺める好文亭と梅林は本園と違った格別な趣がある。

                                      (この項終わり)

top↑