弘道館については、平成23年(2011)3月11日の東日本大震災直前に訪問して以来である。(イバイチのフォトギャラリ 水戸弘道館 参照) 弘道館は国指定特別史跡・重要文化財になっているが、震災では正庁(本館)漆喰壁の落下、学生警鐘の倒壊、弘道館記碑の損壊、土壁の崩壊、屋根瓦の損壊などの被害があったが、3年間の修復作業で震災前の姿の戻ったそうである。
弘道館は旧水戸藩の藩校として徳川斉昭によって開設され、藩校としては全国一の規模だそうである。学問を学ぶ文館、武術を修練する武館、医学館、調練場などがあり、総合大学のような施設だったと云われている。現在の弘道館公園を含めた敷地面積は当時の三分の一程度になっている。
玄関前に「左近の桜」がある。この桜は昨年の台風15号で倒れた偕楽園の左近の桜と一緒に宮内庁から下賜されたシロヤマザクラである。偕楽園の方には良く見に行ったが、弘道館には今まで行ったことが無かったので今年は行ってみたい。
建物の入り口を入ると正面玄関前に「正庁諸役会所」という大広間があり、大きな「尊攘」の掛け軸がある。幕末の水戸藩は徳川斉昭の指導の下で、尊王攘夷を旗印にしていたのである。
正庁は弘道館の中心的建物で、正席の間は藩主が臨席して文武の試験が行われた場所で、床の間には弘道館記碑拓本の掛軸が掛けられている。
至善堂御座の間は明治維新で将軍職を辞した徳川慶喜が恭順の意を表して暮らした部屋である。床の間の掛軸は要石歌碑の拓本で徳川斉昭が詠んだ和歌である。
瓦と白壁塀で仕切られた旧弘道館庭園に出る。今年の梅は暖冬のせいで例年より開花がだいぶ早かった。
正庁の建物の前に「烈公梅」という札の掛かっている梅の木があった。この梅は水戸の六名木の一つで、弘道館を造った徳川斉昭の諡(おくりな)である「烈公」にちなんで名付けられた薄紅色の水戸にしかない品種だそうである。(下の写真は烈公梅2景)
弘道館の敷地には約六十種800本の梅の木が植えられているそうである。
弘道館は白壁塀で囲まれ入館料が必要な旧弘道館内部と、その外郭にある無料の弘道館公園に分かれており、全体で3.2ヘクタールあるが、面積的にはほぼ半分ぐらいづつである 。
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文館跡の梅林の散策路を通り、旧弘道館の奥に行くと孔子廟がある。孔子廟は「神儒一致」「文武一致」という建学の精神に基づいて、鹿島神社と共に併置された。(写真は文館跡の散策路2景、孔子廟2景)
他にも鹿島神社、八卦堂、学生警鐘などの建物が梅林の中に建っている。鹿島神社は.常陸一の宮鹿島神宮から勧奨したものである。八卦堂には弘道館建学の精神を示した「弘道館記」が収められている。(写真は鹿島神社2景、八卦堂2景)
学生警鐘は時を知らせるための打鍾で、当時の敷地面積は10.5ヘクタール(約3万坪)あったので鐘でなくては伝わらなかったのだろう。最初の写真が学生警鐘である。次の写真は梅林の先に茨城県三の丸庁舎の建物が見えるが、調訓練場跡で軍事訓練をする場所だった。
最後の写真は武館跡で、現在は水戸市三の丸小学校になっている。校門は冠木(かぶき)門という二本の門柱の上に横木を渡した簡素な門である。
(この項終わり)
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