桜の弘前と五所川原 (4)金木 芦野公園の桜   イバイチの
旅のつれづれ


岩木山麓水芭蕉の里

 朝9時半にW君夫妻がホテルまで迎えに来てくれた。五所川原に行く前に昨日見えなかった岩木山を眺めながら山麓にある水芭蕉を見て行こうというのである。また天気予報では翌7日は雨だと言うので予定を変更して今日中に金木の芦野公園の桜を見てしまおうということになった。
 アップルロードというリンゴ畑に囲まれた農道から県道3号線に入り、岩木山を目指して行く。沿線のリンゴの白い花が咲き始めている。間もなく岩手山麓一帯が白いリンゴの花で覆われる季節になる。リンゴの木は以前はあまり上に延ばさず人手での収穫や手入れがやりやすいように横に長く伸ばしていたが最近は機械化が進み効率を上げるために上に延ばすようになっているとW君から説明を受ける。岩木山がだんだんにその秀麗で雄大な姿を見せてくれる。

 車は少しづつ高度を上げ岩木山神社に着く。この神社は津軽一宮になっていて岩木山そのものが信仰の対象だが、祭神には大国主命(若いころの大己貴命[おほなむち]の名になっている)や坂上田村麻呂が父親の坂上刈田麿を合祀するなどして沢山祀られている。その中には山椒大夫で有名な安寿と厨子王が津軽へ逃れてきて、安寿姫は岩木山の神となったという伝説も含まれている。境内入口の大鳥居からは岩木山が遠望出来、山頂にある奥宮まで百沢登山道が続いているという。4時間以上の道のりだが、現在は県道3号線を6キロ西上したところから津軽岩木スカイラインが8合目まで通じており、さらにロープウェイを利用すると徒歩30分で山頂まで行けるそうである。

 神社のある辺りは百沢温泉郷があり、スカイラインの上がり口には嶽温泉郷、湯段温泉郷があるなどこの辺りは温泉の宝庫である。百沢温泉郷を過ぎた辺りから周りは広々とした高原状の景観になり、気分も晴れやかになる。百沢温泉から嶽温泉・湯段温泉までの約20キロほどの県道3号線とその付近の道路沿いには「おおやまざくら」約6,500本が植えられており、「世界一長い桜並木」と名付けられている。昭和60年から10年かかって植えられたそうだが、道路の広さとさくらの大きさのバランスが悪く、あと10年以上過ぎなければ立派な桜並木と胸を張っては言えないのではないだろうか。

 津軽岩木スカイライン入口の反対側に湯段温泉があるが、その手前に常盤野水芭蕉沼がある。決まった名称は無いらしく。、湯段地区の水芭蕉とも言われており、また駐車場には湯段姉妹ミズバショウ見所案内図と記され、近くにあと一か所水芭蕉が咲いている場所があるらしかったが、そちらを訪れるのは割愛した。沼はそんなに大きくはないが木道が2列に並べられていて、上流の方からでも下流の方からでも周遊できるようになっている。ところどころザゼンソウが咲き、水が無いところにはフキノトウが多数顔を出していた。

金木芦野公園のさくら 

 岩木山東麓の田園地帯を五所川原方面に向かう。裾野を長く伸ばした秀麗な岩木山が見送ってくれる。岩木川を渡り藤崎町から板柳町、鶴田町を経て五所川原市に入る。目的地の芦野公園は旧金木町(平成17年に五所川原市と合併した)にあり、太宰治の生まれた斜陽館の近くにある。電車で行くと弘前からJR五能線で五所川原駅まで行き、JR五所川原駅に隣接する津軽五所川原駅で冬のストーブ列車で有名な津軽鉄道に乗り換え、金木駅の一つ先にある芦野公園駅まで行くのだが、時間が制約されるので観光にはツアーでなければ車で行った方が良い。

 芦野公園は弘前城公園と共に日本のさくら名所100選に選ばれており、弘前城公園の2,600本よりすこし少ない2,200本のさくらがあるというので期待して行った。「芦野公園/金木桜まつり」は前日までで終わり、雪洞(ぼんぼり)などを片づけていたが、金木は弘前より北にあるので、ちょうど満開になったさくらは見応えがあった。北側には芦野湖という江戸時代に津軽藩によって灌漑用に作られた大きな溜池(藤枝溜池)が広がり。桜松橋という吊り橋が架けられている。
 しかし橋を渡ってから回遊する路は、桜が多く植えられた地域から離れていて距離も長いため、大多数の人は同じ道を引き返すようになり、弘前城公園の本丸広場や西濠周辺のような景色を愛でるまとまりが無く、2,200本あるという桜もばらばらな感じでマスの魅力が発揮できておらず期待はずれだった。

 津軽電鉄の芦野公園駅は公園入り口近くにあり、沿線のさくらの中を走ってくる電車が有名で、カメラマンが多数あつまるのだが、通過時間を知るには無人駅内にある小さな時刻表を見るしかない。大勢の人が通る踏切の方に大きく掲示してあればより関心を持って見に来る人も増えると思う。ここは芦野公園の目玉の一つになる場所なのである。駅に隣接して旧駅舎を改装してその名も「駅舎」とした喫茶店がある。

 太宰治の小説「津軽」にこの駅の描写がある。『やがて金木を過ぎ、芦野公園といふ踏切番の小屋くらゐの小さい驛に着いて、金木の町長が東京からの歸りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな驛は無いと言はれ憤然として、津輕鐡道の芦野公園を知らんかと言ひ、驛員に三十分も調べさせ、たうとう芦野公園の切符をせしめたといふ昔の逸事を思い出し、窓から首を出してその小さい驛を見ると、---- (中略) ---- こんなのどかな驛は、全国にもあまり類例が無いに違ひない。』というものである。

 この公園は太宰治が幼少の頃よく遊んだ場所ということもあってか太宰治の文学碑(昭和40年建立)が置かれていたが、昨年(平成21年)新たに生誕百年記念事業として銅像が建立された。
 文学碑にはヴェルレーヌの詩の一節 「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」 が記されているが、太宰が処女作品を出版した時に記されたものだそうである。津軽の大地主の子として生まれながら、共産党活動にのめり込んだり自殺未遂を繰り返したりの太宰にはぴったりの表現だったのだろう。上部にある鳥は不死鳥で再生を表しているそうである。

 金木は仁太坊という三味線の叩き奏法という津軽三味線独特の音色を編み出した人の出身地であるので、津軽三味線発祥の地ということになっている。そのため作家の藤本義一などが建立した大きな「津軽三味線の碑」や義一の筆による津軽三味線を讃える言葉の碑が建立されている。更に歌手の吉幾三の作詞作曲で千昌夫が歌った「津軽平野」の歌碑がある。吉幾三も金木の出身なのである。

(H22-5-6訪)

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