「本心」
平野 啓一郎
(株)文芸春秋
2021年5月発行
6月に取り上げた平野啓一郎の最新作である。前回の「マチネの終わりに」は2016年発行で渡辺淳一文学賞を受賞し、累計58万部以上のロングセラーになっており、映画化もされた。また2018年発行の「ある男」は読売文学賞を受賞しており、現在注目される作家の一人である。
今回取り上げた「本心」は2040年という近未来の話で、最初の出だしが「母を作ってほしいんです」というフレーズで、何の話かと驚かされる。読んでいくと、主人公が29才で朔也という名前で、母子の二人暮らしで、半年前に母が亡くなったことが判る。
朔也の仕事はリアル・アバターだった。アバターとはインターネット上に自分の分身を作って登場させることだが、リアル・アバターとは現実の人間や動物に徹底的に似せて作られたアバターの筈である。
しかし、2040年になるとリアル・アバターではアバターが装着するカメラ付きゴーグルの映像をヘッドセットでアバターの目を通して見て、アバターの耳を通して聞き、アバターが歩くことが自分で歩いていると雇い主が.感じられるようになっている。つまり雇い主が指示するとおりに動き、雇い主と一体化して活動し体験する仕事である。
ある時、朔也は母から死の時期を自分で決める「自由死」を選びたいと言われる。安楽死の概念が拡張されて死の時期を自分で決める「自由死」が合法化されているのである。もう充分に生きたからという母親に朔也は強く反発する。やがて母親は望みをかなえることなく事故で命を落とす。
母親は本心から死を望んだのか、悩んだ朔也は人工知能を備えたヴァーチャル・フィギア(VF)の作成を依頼し、仮想空間で架空の母親と対話し、真意を探ろうとする。
また生前母と交流していた人たちに会い、自分の知っている母親とのギャップに戸惑うのだった。最初に会った三好という女性は母が亡くなる少し前まで旅館で一緒に働いており朔也の将来を心配していたというのだった。将来介護を受けるようになったら自由死をしたいと言っていたという。そしてその理由として「もう充分に生きたから」と言っていたという。
その後、台風により三好のアパートが被害に遭い住めなくなり、朔也の家で共同生活をすることになった。三好は朔也より2才年上だが過去に売春をしていた時に首を絞められたなどの経験により、セックス恐怖症だとの話をして了解してもらい、母親の住んでいた部屋を使ってルームシェア―の生活を始めた。
ある時、朔也は仕事でむしゃくしゃしてコンビニで東南アジア系女性店員に差別的な言葉を吐き散らしている男に、止めろと言って突き飛ばされた動画投稿サイトの画面が「差別主義者に対する勇敢な男性の非暴力的な抗議に多くの人が称賛を送っている」という動画が掲載されて投げ銭と共に多くの仕事の指名があった。
更に三好から母が生前親しくしていたという作家の事を聞き、その作家と会えることになり、自分の出生の秘密などを知る。また同じアバターの仕事をしていた友人が、頼まれてドローンを政府要人の会食場所に送り込み、殺害を企てた容疑者になったこと、などを知る。
新しい経験を積むごとによって朔也の考え方も幅広くなって行き、母が考えていたことも少しづつ判って行く。そして貧困、ジェンダー、格差社会、社会の分断、海外からの移住者の教育問題などが身近な問題として現れるるが、それにどう向き合っていかなくてはいけないか、という現在から近未来になすべき多くの問題を突き付けられていると感じさせられた。
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