源氏物語(巻十) 瀬戸内寂聴訳     2021年1月8日 (金)







 源氏物語「巻の十」の帖は、源氏物語五十四帖のうち、五十一帖 「浮舟」、五十二帖 「蜻蛉」、五十三帖 「手習」、五十四帖「夢浮橋」の四帖である。(写真は左から表紙、扉、「浮舟」「蜻蛉」「夢浮橋」の口絵)
 この巻は、前巻に引き続き宇治の八の宮の姫君たちの宇治十帖物語で最後の物語であり、源氏物語の最後の巻でもある。、その概要と読後感は次の通りである。

五十一帖 「浮舟」(薫27才)
 匂宮は前年の秋、心を奪われたが乳母に邪魔されて未遂に終わった女を忘れることが出来なかった。
浮舟は薫によって宇治に伴われ囲われ者になったものの、薫は公務で忙しく、また宇治への道のりは遠いので、なかなか訪れられない。
 正月に匂宮が中の君の部屋にいる時、宇治から中の君に手紙が届いたのを匂宮が読み、あの女からだと気が付いた。薫は寺づくりという名目で宇治に通っているらしいが、実は女を隠しているのではないかと想像し、腹心の者に探らせると矢張り、女がいるというのだった。
 匂宮は薫が宇治に行かない日を確かめて早速宇治に行った。匂宮は薫の声色を真似て浮舟の寝所に入った匂宮は薫に成りすまし、浮舟を自分のものとしてしまった。

 浮舟は、ことの途中で、人が違うと気が付いたが、匂宮が上手に声も出せないように扱っており、逢えなかったことを嘆き、思い続けていたことなどをめんめんと訴える男が匂宮だと知り、薫にも申し訳なく中の君に対しても言い訳が出来ないと思い悩む。
匂宮は翌日も居続けて帰らない。浮舟.は薫に比べて優しく情熱的だったので、匂宮の魅力のとりこになって行く。

 二月になってやっと宇治を訪れた薫に浮舟は目も合わせられない。何も知らない薫は、沈んでいる浮舟は自分の訪れが少ないのを恨んでいると思い、一方ではしばらく来ないうちに妙に女らしく成長したとも思うのである。

 二月十日ごろ、雪の降る晩に薫が「さむしろに衣かたしき今宵もや」と気持ちよく詠んだのを匂宮は聞いていて、嫉妬にかられ再び宇治に行く。薫の読んだ後の下の句は「我を待つらむ宇治の橋姫」という古歌だったのである。雪の中を難渋してたどり着いた匂宮の情熱的な訪れに、浮舟は感動する。

 匂宮は二人だけでゆっくり楽しみたいと思い、浮舟を抱いて小舟に乗せ、向こう岸に連れ出した。月の光輝く宇治川を匂宮に抱き締められて小舟に揺られて行く浮船の気持ちは薫より、匂宮に傾けきっていた。
 船が橘の小島の側を過ぎる時、「橘の小島の色はかわらじをこの浮舟ぞ行くへ知られぬ」と詠んだのがこの帖の題名になった。

 対岸の家来の家で、二日間二人だけの愛の時間を過ごす。女はもう男のどんな要求にも応じており、浮舟にとって初めて知った官能の悦楽だった。浮舟はこの二日間は薫への罪の意識も忘れ果てていた。
 やがて匂宮の使いと薫の使いとが宇治で鉢合わせして、情事の秘密は薫にばれてしまう。浮舟は身も心も匂宮に奪われてしまった自分は薫に対して悪い女だと思っている。二人の男に思いもかけない状態で通じてしまった自分を責め、不倫をしてしまった自分をけがらわしく恥ずかしいと思うのだった。

 薫は自分の荘園の男達に、厳重に山荘を警備させ、他の男を近づけないよう見張らせる。浮舟は、薫に知られて以来、身の置き所もなく辛くて、心が千々に砕けるうちに次第に、自分が死ぬのがいいのだという考えに傾いていく。

 薫は誠意があるし、恩義を感じている。しかし匂宮が切なく恋しい。このことを知ったら母はどんなに悲しむだろうか。また中の君には何と云い訳が出来よう。矢張り、こんな自分は宇治川に身を投げるしかないと、次第に浮舟の心は追い詰められていくのだった。

五十二帖 「蜻蛉(かげろう)」(薫27才、浮舟22才)
 宇治の山荘では、翌朝浮舟の君が居ないのに気付き、女房たちが大騒ぎをして探しまわったが見つからない。事情を知る右近と侍従の二人の女房だけは最近の浮舟の悩みをよく知っているので、もしかしたら宇治川に身投げしたのではないかと思う。

 母君も宇治に着き右近から事情を聞いて仰天する。多分身を投げたかもしれないと思うが、世間体をはばかってうわさの広がらないその日のうちに葬式を済ませようと遺体が無いので、車に浮舟の遺品の衣服や夜具を積み込みそのまま焼いてしまう。

 薫は母尼君の病気平癒のため石山寺に参篭中で知らなかったが知らせを聞き驚く。匂宮は悲しみのあまり、食事ものどに通らず寝込んでしまう。
 薫は宇治に行き右近からいろいろ聞きだす。薫はもしや匂宮がどこかに隠しているのではないかと疑うが、匂宮の悲嘆ぶりを見ると矢張り死んだのかと思う。また遺骸がないのに慌てて葬儀をしたのでは浮舟の母はどんなに辛かっただろうと同情する。
 薫は四十九日まで七日毎の法要も型通りに行い、中の君も匂宮もこっそり立派なお供えをする。

 しかし四十九日が過ぎる頃から匂宮は側にいる女房達を相手に気を紛らわすことが多くなる。薫は北の方である女二の宮の姉である女一の宮を覗き見てこの人と結婚したかったと思ったり、宮の君という女房を匂宮と張り合ったりしているのだった。

五十三帖 「手習」」(薫27才)
 其の頃横川(よかわ)には尊い僧都がいた。横川の僧都には老母の尼と、妹の尼がおり、初瀬観音に参詣したがその帰りに、老母の尼が病気になり、宇治の院に一時泊まることになった。宇治の院は荒れ果てていたので、僧都は先に行き見回りをして木の茂ったした蔭に女(浮舟)が激しく泣いているのを見つけた。
 浮雲は完全に記憶喪失症になっていて、自分は誰でどこにいたのかさえ思い出せない。意識はもうろうとして呆けたようになっている。

 妹尼は浮舟も連れて小野の里の庵に帰ったが、浮舟の容体が悪くなる一方なので、妹尼に請われて僧都は山を降り必死に加持祈祷をした、そのため物の怪が調伏され、浮舟は意識を回復した。失踪以来数ヶ月が経っていた。
 気が付いて見回すと、見知らぬ法師や尼たちが自分を覗き込んでいるので、自分が入水しそこなってまだ生きているのだと知った。

 その後、横川の僧都は女一の宮の病気の加持祈祷を明石の中宮に請われて下山したが、その途中小野の庵を見舞った。浮舟は僧都に出家させてほしいと頼み込む。そのあまりの熱心さに負けて僧都はその場で浮舟の得度式をとり行ってしまう。

 年が明け、浮雲は日々、静かに勤行しながら終日、心に思うことを筆に託して思い浮かぶままに歌をつくったりする手習いということをしている。出家したからといって一挙に現世の執着が断ち切れるものではないが、それもやがて日と共に薄くなるだろうと思うのである。
 横川の僧都は女一の宮の病気が回復した後、明石の中宮との話の中で、女を発見して以来のことを話す。その場にたまたま薫の情人である小宰相もいた。中宮も小宰相も、その女が薫の囲っていた失踪した女ではないかと思い当たる。

年が明け、浮舟の一周忌が過ぎた頃、明石の中宮に言われて小宰相が薫に浮舟の生きていること、出家していることを告げる。
薫は匂宮もそのことを知っているのか不安がるが、中宮は匂宮には、知らせていないときっぱり言う。
 薫はそれ以来、寝ても覚めても浮舟のことを思い続け、とにかく横川の僧都に会って直接確かめようとするのだった。

五十四帖「夢浮橋」(薫28才、浮舟23才)
 源氏物語の最終の帖である。
 薫は毎月比叡山根本中堂に月参りをしているが、その帰りに横川に回り、僧都に逢って浮舟のことを聞こうとし、ずっとそば近くに置いて召し使っている浮舟の弟の小君(こぎみ)を供に連れて行った。
 薫は僧都から発見以来の一部始終を聞いているうち、浮舟と確認し涙があふれてくる。それを見た僧都は驚愕する。
 こんな貴顕の想い人を、本人にせがまれたとは言え、出家させてしまい、とんでもない早まったことをしたと後悔する。

 僧都は薫に請われて浮舟への手紙を書き、翌日、薫は小君に僧都の手紙と自分からの手紙を持たせて小野の里にやる。小君は死んだと思っていた姉が生きていて住所が分かったと言われて喜んで行く。
 しかし浮舟はつれなく、小君に会おうともしない。僧都の手紙には還俗して薫に添い遂げ薫の愛執の罪を晴らしてあげるようにと書いてある。.浮舟はその手紙にも動かされず、薫に逢いたいとも思わない。
 薫の手紙を見ても浮舟は変わり果てた今の尼姿を見られたくないと思い、返事の書きようもなく、泣き伏すばかりだった。
薫は小君がこんな要領を得ないまま帰ってきたので、だれか男が女君を隠し住まわせているのではないかと、自分がやっていた経験からそう考えたと本には書いてあるようだ。という言葉で終っている。

top↑

[読後感]

 この本の現代語訳者である瀬戸内寂聴は「この巻の中での白眉は、なんといっても「浮舟」であろう。宇治十帖のヒロイン浮舟が二人の男の中で身も心も揺れ動き、不貞の罪の意識にひとり苦しみ身投げを決意するまでの哀切さには読者は同情を禁じ得ない。浮舟の鮮やかな出現と、その数奇な運命の変転によって、他の二人の姉妹たちの影さえ薄くなる。
 自分の意志ではなく、薫の囲い者となりながら、薫に恩義を感じている浮舟は決して裏切るつもりはなかったのに、好色な匂宮によって強姦され、薫を裏切ったことになり苦悩するのである。
 浮舟の苦悩は薫を裏切ったという罪の意識もさることながら、侵された匂宮に、薫以上の魅力を感じてしまう自分の生身の不思議と矛盾であった。肉体と精神の乖離相剋(かいりそうこく)という重い文学的問題を、千年以上も前に早くも紫式部は書いているのである。」と述べている。

 また「浮舟の苦悩に対して、二人の男はどれほど悩んでというのだろうか。匂宮の悩みは、ただ単純に気に入った女性を独占したいという欲情の焦りであり、薫の場合は愛よりも世間体を気にしていて、女の裏切りに対しても自分の面子が傷つけられたという怒りが先に立っている。

二人とも、浮舟の四十九日までは、嘆き悲しんで見せるが、それ以後は呆れるほどの速さで他の女との情事に右往左往している。紫式部は、所詮、男の心はその程度のもので、情熱も誠実もたかが知れている。といいたかったのではないだろうか。」とも述べているが、その通りだと思う。最後の薫の述懐をわざわざ入れたのも、それを強調するためだったのだろう。。


[瀬戸内寂聴現代語訳「源氏物語」を読了して]
 
 昨年6月にNHKEテレの日曜美術館での「国宝源氏物語絵巻柏木(1)〜(3)」を見て以来、今年(2021)1月まで半年以上の日月を経て、源氏物語を読み終えた。こんな素晴らしい物語が千年も前に書かれた事を知り、それが現代語に訳されたとはいえ10巻の本を毎回楽しく読めたことは有難く、この様な古典があることは日本人として誇らしく思う。
 この物語が書かれた時代は平安時代の最盛期であり、英明な一条天皇の許で藤原道長が左大臣として補佐していた頃である。

 紫式部は藤原道長の娘で一条天皇の中宮になった彰子の女房として仕えていた。道長とも面識があり、紫式部日記には中宮彰子が皇子誕生の祝いの席で、道長に和歌を読めと言われて一首詠んだ話が載っている。

 昭和40年発行の中央公論社発行の日本の歴史王朝の貴族という本にはこの挿話以外に一条天皇と道長との関係について、お互いに親近感を持ち、「この世をばわが世と思う望月の欠けたることもなしと思えば」という歌を詠んだ道長だが、天皇の考えをよく聞き独断専行はなかったと書いている。
 
 その為に信頼できる上層部を持った下位の者は、安心感を持ってそれぞれの才能を育てて行けるので、一条天皇の宮廷には多数の人材が輩出したのは注目に値すると書いている。女流文学もその例にもれず、紫式部、清少納言などに代表される人材が出て来たのである。

 余分なことを書いたが、紫式部は道長をモデルにした光源氏の生涯を描いた部分で終わりにして、その後仏門に入り、数年後に浮舟を中心にした宇治十帖を書いたのではないかと瀬戸内寂聴は書いている。
 読んでみても光源氏と周りの女性群を描いた前半と浮舟と薫、匂宮の三者に絞られた後半では、同一人が書いたとは思えないほどである。後半の宇治十帖は現代の作家が現代の話を書いているような場所が多々ある。

 源氏物語ではまず第二帖の帚木で女の子の噂をする若者の、雨夜の品定めが共感できる。
 第七帖紅葉の賀では、桐壺帝は源氏に生き写しの皇子を自分の子として喜び、藤壷中宮はいたたまらない気持ちになる。

 第十帖賢木では桐壺帝が崩御し、源氏は更に藤壷に迫ろうとするが、藤壺は突然出家する。源氏を拒み二人の不倫の子である東宮を守るためだった。この二つの帖での藤壺の子を思う決意とそれほどでもない源氏との差が良く表れている。源氏はこの後、朧月夜との密会を見付かり、明石に落ちて行くことになる。
 
 その後、政界に復帰した源氏は、第三十三巻藤裏葉で嫡男の夕霧が結婚し、明石の姫君の入内も果たし、源氏本人は准太上大臣の待遇を受けることになり、冷泉帝と朱雀院が揃って邸に行幸し祝宴が催されるなど、栄華の絶頂に立った。

 しかし、第三十五帖、第三十六帖の若菜(上下)での女三宮の降嫁、柏木の不義密通による妊娠。紫の上の出家願望など暗く重苦しい場面が増えてくる。
 さらに第四十帖御法での紫の上の死、第四十一帖幻での源氏の出家の暗示で光源氏の物語は終わるのである。

 若菜(上下)は源氏絵巻を見て物語を読むきっかけになったというだけではなく、源氏が主人公の場面では一番読みごたえがある帖である。
 また御法での紫の上が出家によって自分の心の平安を得ることが出来なかった哀切は源氏の身勝手であり、作者である紫式部の男性観が表れていると思える。

 また多くの人が一番心に残る、一番面白いと感じるという宇治十帖の浮舟の哀れさは、現代の男女間の物語としても充分に通じる話であり、千年前からの男女間の愛憎、そして男なんてこんなものさと切り捨てる女の強さを描けることが、紫式部の素晴らしいところなのだろう。

  top↑   

(写真をクリックすると大きくなります)

(この項終り)