象潟

イバイチの奥の細道漫遊紀行

[ 象潟・念珠の関 ]

H21-12-29作成　

十六羅漢岩

　酒田市から通称おばこおけさラインと呼ばれる国道７号線を行くと前方に鳥海山が大きく優美な山容を現す。日本海に沿って４０分ほど行くと道の駅「鳥海」を経て吹浦の十六羅漢岩駐車場に着く。十六羅漢岩は鳥海山（標高２，２３６ｍ）から日本海の吹浦まで流れ出た溶岩に十六羅漢像を刻んだものである。吹浦はもともと漁村だったが、多くの漁師が日本海の荒波に命を失ってきたのに胸を痛め、近くにある海禅寺の住職寛海和尚が、海難事故による諸霊の供養と海上の安全を祈り、衆生を救わんと羅漢の造仏を念願し、幾多の困難を乗り越え明治元年（１８６８）にようやく２２体の磨崖仏を完工したものである。１６の羅漢に釈迦牟尼、文珠、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像をあわせて２２体といわれているが、だいぶ磨耗が激しく全部は判らない。　(写真は鳥海山と十六羅漢岩）

　十六羅漢岩から２～３分ほど歩くと、出羽二見という二見が浦の夫婦岩に似た岩が海岸の波打ち際にある。二つの岩の間にはしめ縄も張ってあるが、海上ではなく砂の上ではどうにもならない。満潮になって夕陽が沈む頃なら綺麗に見えるのだろうか。出羽二見を見下ろす国道７号線の縁に　「あつみ山や　吹浦かけて　夕すゞみ」　の芭蕉の大きな句碑があった。この句は象潟から酒田に戻って詠まれたものだが、此処の吹浦という地名が詠みこまれているのでこの場所に建てたのである。酒田から南下した温海温泉付近にも同じ理由で同じ句碑が建てられているそうである。

象潟

　やがて象潟駅入口の標識があるＹ字路から国道を離れて象潟駅前に出る。駅にある観光協会の窓口から案内のパンフレットを貰った。象潟駅前には芭蕉文学碑が建てられていて、蚶満寺所蔵の芭蕉真筆を写真拡大したという銅版が、自然石にはめ込まれている。碑文は　『象潟　「きさかたの雨や西施か　ねふの花」　夕方雨やみて處の何かし舟にて江の中を案内せらるゝ　「ゆふ晴や櫻に凉む　波の華」　　腰長の汐といふ處はいと淺くて鶴おり立てあさるを　「腰長や鶴脛ぬれて海凉し」　武陵芭蕉翁桃』　と云うものである。
　また奥の細道記念切手碑というのがあって、昭和６３年に発行された奥の細道切手シリーズを記念して　「きさかたや　雨に西施が　ねぶの花」　の句と合歓の花の切手をカラーで描いた記念碑が建立されていた。

　象潟は景勝の地として知られているたが、芭蕉が訪れた１１５年あとの文化元年(1804)に鳥海山の噴火と大地震によりこの辺りの陸地は1．8メートルも隆起し、その後松島と並ぶ景勝地だった象潟は無くなってしまったのである。

　芭蕉は太平洋側では松島から平泉まで行き、そこから反転して日本海側に向かい、ここ象潟まで北上しているので、象潟は平泉と共に大きな目的地のひとつであったことは間違いない。おくのほそ道には当時の象潟の風景を絶賛して次の名文が残されている。「其朝、天能霽（はれ）て、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。先能因嶋に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし櫻の老木、西行法師の記念（かたみ）をのこす。(中略) 寺を干満珠寺と云。(中略) 此寺の方丈に座して簾を捲ば、風景一眼の中に盡て、南に鳥海天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。」
　平安の昔、能因法師が３年間庵を結んで暮らしていたという能因島で先人を偲び、蚶満寺にある西行法師が　「象潟の桜は波に埋れて　花の上漕ぐ　海士の釣り舟」　と詠んだ桜の老木を眺めた。寺の座敷に座って簾を巻き上げて眺めると、風景が一望の許に見渡され、南方には鳥海山が天を持ち上げるように聳え、その影が水上に映っていると述べている。　この時に芭蕉が　「象潟三詠懐紙」　として書き残したものが、先に述べた象潟駅前にある芭蕉文学碑の碑文である。(写真は蚶満寺本堂）

　更に　「西はむやむやの関、路をかぎり、東に堤を築て、秋田にかよふ道遙に、海北にかまへて、浪打入る所を汐こしと云。江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて又異なり。松嶋ハ笑ふが如く、象潟ハうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。　象潟や　雨に西施が　ねぶの花　　　汐越や　鶴はぎぬれて　海涼し」　と名文と名句が続くのである。前述のように芭蕉文学碑文には初案の　「きさかたの　雨や西施か　ねふの花」　「腰長や　鶴脛ぬれて　海凉し｣　の句と、西行法師の櫻の老木を眺めて詠んだ　「ゆふ晴や　櫻に凉む　波の華」　の３句が記されているのである。　現在はこのような景観は、国天然記念物に指定されている九十九島が田植前の水を張った僅かな時期のみにその俤を残すだけになってしまった｡

　私が行った１０月下旬には休耕田には薄が生い茂り田圃の水は干上がっていて、点在する島跡に松が茂っているのと彼方に山頂付近に雪をかぶった鳥海山が遠望できたのが昔を偲ぶ縁だった。芭蕉が舟で渡った蚶満寺は、今は羽越本線の踏切を渡って歩いて行ける様に変わってしまった。

　山門前の広い境内には芭蕉の立像と句碑、西施の碑などが置かれている。古い参道の先にある山門を潜ると庭園の入り口になり、方丈の南面に年月を経た松やつつじなどが植えてある。なかでもひときわ大きく樹齢千年を越える霊木といわている犬たぶの木があり、その側に初案の　「きさかたの　雨や西施か　ねふの花」　の句を刻んだ宝暦１３年(1763年)建立の句碑がある。芭蕉が訪れた７４年後の建立である。付近には船着き場跡と舟繋ぎ石や西行法師歌桜の跡というのもある。しかし船着き場跡からは人家や畑しか眺められず、昔の面影今いずこの思いがする。蚶満寺という名が知られているにも拘わらず、現在の蚶満寺周辺は格調高いとは言えず物足りない思いがした。　　(H15-10-21訪)

念珠ヶ関

　山形と新潟との県境にある念珠ヶ関（鼠ヶ関）まで足を伸ばした。奥州との境目である越後，出羽間の関所跡に行くことは一つの区切りになると思ったためである。古代の大和朝と蝦夷の住む陸奥との間には三つの関所があった。太平洋側の勿来の関，中央陸地の白河の関、そして日本海側の念珠ヶ関（鼠ヶ関）である。

　芭蕉は白河の関を越えて陸奥に入り「旅心定まりぬ」と感慨を新たにしているが、越後路の始めの文章は　「酒田のなごり日を重ねて、北陸道の雲に望む。遥々の思い胸をいたましめて加賀の府まで百三十里と聞く。鼠の関を越ゆれば越後の地に歩行（あゆみ）を改めて」　と酒田について述べることにより陸奥との別れを表していて、念珠ヶ関（鼠ヶ関）についてはそっけない事務的な書き方をしている。

　温海町鼠ヶ関にあるこの念珠ヶ関跡には「史跡念珠関址」「勧進帳の本家」という二つの碑が建っている。また関址の説明板があってこれは「近世」念珠ヶ関，つまり江戸時代の関所跡で律令時代の関跡とは場所が異なっていると言うことが記されている。古代鼠ヶ関跡はもう少し南の新潟県との県境近くにあったのだが、現在は民家が建っていて小さな石碑があるだけらしい。
　歌舞伎の勧進帳は加賀安宅の関が舞台になっているが、実際はここの鼠ヶ関での出来事だといわれている。近くには義経上陸の地とされる碑も建立されているそうである。「義経記」によれば直江津から寺泊まで船で行き、念珠の関では「歩めや法師とて、しとど打ちて行きければ」と義経を打ち据えながら通ったとある。その後義経一行は最上川を清川から船で本合海まで遡り、そこから陸路を亀割山に向かい、同行した北の方がそこで出産するのであるが、途中白糸の瀧で北の方が、「最上川　瀬々の岩波堰き止めよ　よらでぞ通る白糸の瀧」「最上川　岩越す浪に月冴えて　よる面白き白糸の瀧」と詠んだとある。

　「義経記」は伝説的素材の集成に仮作的詩想が加えられて成ったものと云われている。その内容の全部が全然出鱈目の夢物語では決してなく、むしろ普通に想像せられている程度以上に史実との関係は接触が保たれているそうだが、北の方が義経都落ちに同行し最上川を遡った後、新庄市と最上町の境にある亀割山で出産したという話はあり得ないことだろう。

みちのくの旅を終えて

　それはさておき、「おくのほそ道」の記述は、象潟の次は越後路に跳んでいるのだが、「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。----予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて漂泊の思いやまず。」の名文で始まるおくのほそ道の序文では、更に「白河の関越えんとそぞろ神のものにつきて心をくるはせ、----松島の月まづ心にかかりて----」と記してあるように、当初は歌枕を尋ね、松島の景観を眺め、さらに平泉で義経を偲ぶまでの、みちのくを目指して太平洋側を北上する旅が第一部であろう。

　次に、奥羽山脈を横切り、出羽三山に詣でて酒田に出るのだが、標高２千メートル近い月山には普通の旅人は登らないだろう。芭蕉が敢えて月山から湯殿山まで行ったのは、生まれ変わった気持ちで俳諧の道を見直そうという考えからだったのだろうか。芭蕉の俳論である｢不易流行」はこの出羽三山巡拝の頃から芽生えたといわれる。その後、酒田から松島と並ぶ景勝地の象潟まで北上し、「松嶋ハ笑ふが如く、象潟ハうらむがごとし」　との感慨を記すのだが、ここまでが第二部であり、本来の「おくのほそ道」であるみちのくの旅はここで終了した筈である。

　しかし、と嵐山光三郎の「芭蕉紀行｣には、「荒海や　佐渡によこたふ　天河　の句がひらめいて、その後の旅も書かねばならなくなったのだ。」ということが書いてある。「おくのほそ道」での秀句と言われるものは、平泉での「夏草や　兵どものが　夢の跡」「五月雨の　降りのこしてや　光堂」、山寺の「閑さや　岩にしみいる　蝉の声」、最上川の｢五月雨を　あつめて早し　最上川」、越後路の「荒海や　佐渡によこたふ　天河」などであるが、その中でも「荒海や----」の句が第一級だと多くの識者が述べている。
　そういうこともあって、「おくのほそ道」の旅は、更に越後路、北陸路と続くのである。　　(H15-10-20訪)

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　　注２）　青字は「おくのほそ道」にある句です。
　　注３）　緑字は「おくのほそ道」の文章です。